出産まで何をしたらいいか分からない。

「出産まで何をしたらいいか分からない。」と悩んでいた妊婦さんへの訪問診察エピソード。

初産の妊婦さんからこんなご相談がありました。

「いま、妊娠していて、病院に通っているんですが、何がどうなっているのかが分からなくて、何が分からないのかが分からないんです。」

「健診には行くのですが、先生からは特に指導的なものがないので、毎回、何を聞いたらいいのかも分からないんです。」

「夫も病院に入れず、私と赤ちゃんがどうなっているのか分からないようです。」

「出産まで、何をして行ったらいいか全く分からなくて・・・。」

「高齢初産でもあり、心配です。」

“妊婦さんと旦那さんが在宅の日に訪問して欲しい”
というご希望通り、訪問診察をしてきました。

  • お腹の触診
  • 心音聴取
  • 超音波エコー
  • 骨盤の診察

をしました。

妊婦さんと旦那さんには、

・お腹の中の赤ちゃんがどのくらいの大きさになっているか
・妊婦さんの身体に対して、どのような体勢で、どの位置にいて、どのように動いているのか
・胎盤、(お)臍、羊水の役割

についてお話ししました。

次に、

・妊娠は病気ではないこと
・出産は身体にとって生理的なもの
・原則、医療的な介入は必要がないもの

であることを丁寧に説明しました。

そして、

・妊娠が正常から逸脱しない=病気でない状態で経過する
・出産が身体にとって生理的な現象で経過する

このために必要な「身体作り」「心構え」について、
「これから助産師と一緒にやってゆくこと」をお約束しました。

これから出産まで、定期的な訪問を続けていくことになりました。

私の原動力になっているもの

私は妊娠が先で、結婚が後です。
当初、私の周りは、交際期間の短かった私とパートナーとの結婚を心配し、また、助産師学校入学すぐの妊娠だったのも手伝って、親は妊娠継続にも、特に、結婚にも反対しました。

妊婦や結婚が、自分の想像していたものとどんどん遠い形で進めていくしかないという状況の中、私の助産師としての原点になったことがありました。

それは、どんな状況であれ、子どもを産み育ててゆく私は尊重されたということです。

そんな扱いをされる立場でもない、ということはたくさんしてきました。

助学のクラスメイトは私の負担をかなり分担してくれました。助学の先生は入学したてで悪阻に萎れそうになる私を授業のあとに焼肉に連れて行ってくれました。

私自身は非難の目を浴びながらやっていたこと…そのような自覚が常にありました。

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だいぶ昔の2月のお産でした。
当時まだ私は助産師学生で、隣にいるのは現在の夫です。

友人二人は名古屋から私のお産のために静岡に来て、前日から夜通しで私の陣痛に付き添ってくれました。実習を共にした仲間で、国試を控えていました。
実習で夜通しお産する人に付き添うことに慣れていたとはいえ、産婦は友人であり、、休むわけにもいかず、夫の手前もあり、本当の本当の徹夜状態でついてくれました。

そして、ここに写ってはいませんが、助産院の先生が、やはり
私の背中側にずっとついてくださり、長い陣痛に挫けそうになる私と赤ちゃんを見守ってくれました。
妊婦健診からずっと変わらない姿勢でした。

このお産がなければ今の私の助産師としてのアイデンティティは形成されていなかったのだと思います。

実際は、わたしは、自分を大切に出来ておらず、また、自分を大切に出来なかったことは相手にもそうであり、「結婚したら幸せになれる」という勘違いをしながら新たな生活を始めたばかりでした。。。

今日はここで精一杯です。
長く聴いて下さりありがとうございました。

私の助産師として
母として
妻として
学ぶものとしての原動力になっているものはここにあります。

学友の2人には快く掲載許可をいただきました。
「へぇ〜 静岡 頑張っとるな〜 まゆっぺも(当時のあだ名)!」

さんばの玉手箱

大学院生(20歳以上の学生さん)と産むこと.育てること.子育てするパートナーシップ.恋愛から命の尊さを考える時間を持ちました。

院生の他に興味のある学部生も参加してくれました。
どうして来てくれたの?と伺うと、
「自分にすごく関係のあることなのに、聞く場所がないから」
「最近、彼氏が出来て、これからのことを考えたら聞いておきたくなった」
と答えてくれました。

開業から10年!

2011年8月に開業して10年が経ちました。助産院を利用して下さったお母様、ご家族の皆様に感謝申し上げます。

以前言われていた「MY助産師」はLMC(Lead Maternity Carer)と言い方が変わり、これからは「マタニティ継続ケア担当責任者」と呼ばれるようになります(少し慣れませんが^_^)。

妊娠中から産後まで関わる助産師を指しますが、同じ人と何度も出会い、信頼関係と安心のもとで出産し、産後も相談できるという「人と人のつながり」を大切にするシステムをも意味します。

これは日本の中で古来から大切に受け継がれているシステムで、私も、この最古の職業とも言われる昔からの産婆スタイルを健康のある限り続けてゆきたいと願います。

そして、お母さんお父さんになる人が安心して子育てしていくことのほんのわずかな支えとなれたらと願っています。

あなたにとってお産とは

あなたが、いつか迎える”お産”とは、どのようなお産ですか?

楽しみですか。
怖いですか。

怖いとしたら、どんなところが怖いですか。

その気持ちはどこから来るのでしょうか。

お産のとき、
助産師を頼りにしてください。
助産師にはたくさんわがままを言っていいのです。

赤ちゃんが産まれたら、引き続き助産師にまかせてください。

どうやって赤ちゃんを抱くか…
おっぱいを含ませるか…
いつ身体をどう休めたらいいのか…

あなたに合わせてお伝えします。

助産師がその場にいなかったら、
LINE・電話・メールを通してケアの方法を丁寧にお教えします。

あなたと赤ちゃんにぴったりの方法が見つかるようにケアしていきますよ。

赤ちゃんが産まれた後も、できれば相談してください。

仕事復帰とおっぱい、
身体のこと、
気持ちのこと、
上の子のことやパートナー、
親とのことなど、

お産が終わっても、お話しくださるのを待っています。

写真右:斉藤麻友佳、写真左:小長井祥子(いぶきの助産院)
2017年1月に生まれた赤ちゃんと。

こんにちは、助産師の斉藤麻友佳です。

静岡市駿河区で出張分娩対応の助産院「ぶどうの木助産院」を開業しています。
このコラムでは妊娠・出産・子育てを通して”産婆(さんば)”が思うことを綴っています。

看護師、助産師として総合病院で働いた後、
開業当初は出張で母乳育児相談をしていました。

そのうちにお産の依頼があり、
ポータブルエコーや血圧計など、必要なものを持参し、
あとは自分が動くというスタイルで始めました。

お母さんやご家族は、自宅で受ける健診を新鮮だと非常に喜んでくれました。

はじめは助産院に自分がいて、皆さんにお越しいただくことを考えていましたが、
助産師が動いてお母さんや家族が動かずそのまま家にいていただくと、
出張のメリットを多く感じるようになりました。

妊娠、出産、子育ては家族の中にある、とお母さんとご家族からいつも教えられます。

そして、
助産師は、お母さんお父さんになる方・ご家族の中に入っていき、
お母さんお父さんが赤ちゃんを迎えて新たな家族になるのを、
促進する役割を持つのだと感じています。

自宅で赤ちゃんを迎えることの意味を考え、感じながら、
お母さんが元気に赤ちゃんを出産されることを、
ゆっくり丁寧にサポートさせていただきたいと思っています。